逗子の別荘


「狂った果実」を唄ってみました

 トランパーの山下亀三郎は、逗子の桜山に大枚二百円を投じて別荘を建てた。

 別荘といっても板の屋根の小家屋だった。亀三郎は自伝「沈みつ浮きつ」で、別荘を持った動機に(その頃から、時々田舎の空気に接しなければ頭が変になるような気がする)と語っている。  

 亀三郎の郷里は愛媛県吉田町の喜佐方村で海のない盆地だったが、ちょっと行くと筋や奥南の海辺に出る。亀三郎は都会の喧騒をさけ、逗子の潮風を吸いたかったのであろう。

 その別荘に亀三郎は親戚古谷久綱の妻の一族を招待した。明治33年ころ伊藤博文の総理大臣秘書官を務めていた古谷久綱は山尾庸三子爵の四女と結婚した。山尾家は近代日本の名家で親戚筋に、木戸孝正、廣澤金次郎、前島弥(密の長子)男爵がいた。

 亀三郎は古谷の親族総代として、逗子の別荘にこれら木戸一族の四夫婦を招待した。

 自伝には(横浜から吉次という芸者を女中代わりに呼んだが、その大別荘の六畳の座敷に四夫婦を一先ず座らした時の格好というものは、全く大変な異彩であった)と書かれている。

 奇抜で宴席の座を持つことの上手い亀三郎は、地網を引かせ船で料理させて夕食を用意した。網では魚もとれ、舟の中は大変な騒ぎで、葉山の方まで漕いで行って騒いだ。

 爾来、40年後木戸幸一内大臣の母堂(先代木戸孝正氏未亡人)は、亀三郎に会うたびに、その時廣澤金次郎伯が帰りの汽車の中で酔っていて困ったという話をよくしたという。

 亀三郎の心づくしの接待で大酒を飲んで騒いだ様子が、ありありと想像できる。

 時は移り、昭和期に入ると逗子の別荘に、亀三郎の薫陶を受けた愛弟子の石原潔が住んだ。

 潔は亀三郎が落第した宇和島南予中学出身で、潔も中退して山下汽船に入った。当時は海運マーケットの中心は神戸と小樽で、潔は営業マンとして其々に赴任した。

 小樽から逗子に引っ越した石原家には、慎太郎、裕次郎というやんちゃな子供がいた。

 潔は子供らに大金をはたいてヨットを買った。慎太郎は弟の裕次郎らが起こす破天荒な遊びを題材に短編小説「太陽の季節」や「狂った果実」を書いた。これらは映画化され大スター「石原裕次郎」を生む。

 

 さて、暑い夏向けのカラオケムービーを製作しました。背景はイタリアベネチアの海です。

 カラオケムービーは、家に籠っている老人のせめてもの楽しみです。お目お耳汚しですが興味のある方はご覧くださ~い。