明治丸146歳


明治丸 海の記念日

 今日は「海の日」、今年はハッピーマンデーを止め東京五輪開催日の前日になった。

 「海の日」の由来について…

 時は明治9年6月2日、明治天皇は、東京を発って奥羽巡行の旅にでた。芭蕉が辿った「奥の細道」をなぞるように東北地方に向かう。共奉員は200余名、岩倉具視大隈重信大久保利通木戸孝允ら維新の元勲共であった。

 「明治天皇青森巡幸記」(青森市立新町国民学校/昭和16年出版)によると、明治天皇は、7月9日に青森県に到着した。10日一戸、三戸、11日五戸、12日七戸、13日野辺地、14日小湊と巡行し御泊りは青森市、16日青森港で「明治丸」に乗船、函館へ渡海された。当時は東京・青森間の鉄道はなく、山を越え川を渡る不便があった。天皇は殆ど御馬車を用い、険しい坂道は御馬、その他御板與で御巡幸された。

 明治丸は、18日午前10時函館を出航、岩倉、木戸ら161名が総トン数1230トンという大きくもない船に乗船しての航海だった。7月20 日午後8時無事横浜港に安着され、明治天皇は、21日目出度く東京へ御還幸あらせられた。

 後年昭和16年、時の逓信大臣村田省蔵(元大阪商船社長)が明治丸の横浜港到着した日を「海の記念日」にと提唱し、制定された。

 そもそも明治丸は、明治の新政府が英国グラスゴーの造船所に発注し、明治7年(1874)に竣工した鉄製の汽船で、灯台巡回業務に携わっていた。明治丸はその後、東京商船学校の練習船として使用され、現在は東京海洋大学越中島キャンパスに保存され国の重要文化財に指定されている。

 この「海の記念日」7月20日が、平成8年(1996)から国民の祝日「海の日」となった。しかし、ハッピーマンデー制度で第3月曜日に替わったが、記念日は動かしがたいと海運界などが7月20 日を「海の日」として要望している。

 「海の記念日」が制定された昭和16年は、太平洋戦前夜で海運・船舶の重要性が問われていた時代。あえて村田省蔵明治天皇の御巡幸を取上げたのは、当時、海は怖い所、船に乗るには水盃が要ったという時代に、天皇自らが海に親しみ海運発展のため、辛い航海に就かれた。このお手本が戦時中の国民の精神高揚につながると考えたのではないか。

 多分、村田省蔵は海運界の為に一肌脱いだのだろう。『トランパー』の山下亀三郎も僚友の考えに賛同し、海国ニッポンの為に同調したに違いない。( そういうご時世だったのでしょう。)

 ブロガーが所属していた大型船組合は、「明治丸海事ミュージアム事業」へ寄附した。その関係で2014年7月、明治丸を見学に相生橋まで行ったが修復工事中で見れなかった。

 明治丸は御年、146歳まだ現役である。

 

  粋な人ゆかた姿に屋形舟

 

 

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