2014年6月 浅草から竹芝までの船旅


2014 隅田川を下る

 船旅と云っても浅草発16:30竹芝桟橋着17:00と、乗っている時間はわずかの30分間。ムービーの船旅は3分40秒です。

 いまから6年前、築地魚市場はまだ開いていた。新市場の豊洲につながる「築地大橋」が建設中だった。この橋は、虎ノ門~新橋の通称「マッカーサー道路」と豊洲を結ぶ橋で、隅田川に架かる最後の橋になる。

 2020年東京五輪では、競技場が集まる湾岸地区と、メーンスタジアムの新国立競技場を結ぶ「オリンピック道路」として交通のかなめになる所だったが、新型コロナウイルス禍で来年のオリンピックも危うい。

(余談)

 来年のオリンピックを10月10日にすればよい!

 日本は、7月の梅雨明けから8月お盆のころまで、灼熱の季節でスポーツには適さない。むしろ夏休みで体をリフレッシュする時期である。

 この暑い時に夏期オリンピックを開催しないといけないIOCの経済的事情は分かるが、選手の安全第一を考えれば涼しい秋に開催する方がよいのではないか。コロナの影響を考えると先に延ばした方がいいに決まっている。

  東京都は築地市場豊洲に移し、ウオーターフロントを開発し、国は、道路、橋梁等を整備し莫大な金を使ってきた。

 来年7月23日開催は早すぎる。今回の東京開催は特別の計らいで秋季オリンピックにすればいいのでは…。

ラソンも東京で見たいものだ。

 

 さて、「マッカーサー道路」とは? 戦後、連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー長官は、虎ノ門の米国大使館と湾岸エリアをつなぐ軍用道路の整備を計画した。

 だが、環状2号線の虎ノ門~新橋間の1.4キロは、なかなか用地買収が進まず、2014年3月29日にやっと開通した。地上部道路の愛称は、「新虎通り」という。仏蘭西シャンゼリゼ通りのようにするらしい。

 隔世の感とは此の事を云うのか…。

 ブロガーが船会社に入社した昭和42年頃、勝鬨橋築地市場から東京湾の海側は何もなかった。先輩に連れられ豊洲の石炭埠頭に入港していた貨物船を訪ねたが、陸側にアンローダーもなく、船のデリックウインチで、粉塵を巻き上げながら石炭を揚げていた。戦後の経済復興の役目を終えた石炭埠頭は、平成になって姿を消した。

 ウオーターフロントの開発でお台場が整備され、レインボーブリッジができ、新交通臨海線「ゆりかもめ」が開業した。

 今じゃ夏になると、屋形船が多く出て夜景を楽しんでいる。これからは、三密で舟遊びもどうなるのか?

 2014年は、ブロガーはリタイアして気ままに出掛けていた。竹芝桟橋には何の用事があったのか思い出せないが、潮の香りが恋しくてフラリと出掛けたのだろう。

 

  江戸情緒隅田大橋屋形舟

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