宇和島の名園「天赦園」 2015
宇和島市には仙台伊達家をルーツとする宇和島藩と伊予吉田藩があった。2015年5月、ブロガーは亀三郎伝『トランパー』執筆中に取材の為、宇和島を訪れた。
宇和島藩7代伊達宗紀、8代伊達宗城は幕末の混乱期に活躍した名君だった。
宗紀は、早くして宗城に封を譲った。隠居となった宗紀は「春山」と号し書に親しんだ。伊達政宗の漢詩
馬上少年過 世平白髪多 残躯天所赦 不楽是如何
に感銘し、隠居所を『天赦園』と命名した。
宇和島市は、この二人の名君のお陰か、偉人が多く輩出した。
2015年は伊達家宇和島入部400年祭で、盛り上がっていた。
ブロガーはよく人に聞かれた。「何で宇和島の片田舎に立派な人物が多いのか?」ブロガーは「偉い殿様がいたからでしょう」と誇らしげに答えたものです。
作家の吉村昭、司馬遼太郎は、歴史と文化の街、宇和島をしばしば取材したというので、その関心度は推して知るべしでしょう。
白藤や伊達の殿様400年