2014年6月 深川 芭蕉庵へゆく
コロナで家にこもり、デジカメ記録を辿ると、6年前、深川の芭蕉記念館を訪ねていた。
松尾芭蕉(1644~1694)の母は宇和島の人と云われている。
豊臣政権下、築城の名人・藤堂高虎は宇和島城を建築した。やがて高虎は伊賀の国に移った。宇和島の桃地家出身の母は、夫に随い伊賀で芭蕉を産んだ。(芭蕉の前の俳号は桃青)
芭蕉は藤堂家に仕えたが、侍を捨て江戸に下った。延宝8年、芭蕉は深川に杉山杉風の支援で草庵を造った。
名吟「古池や蛙飛びこむ水の音」は此処で詠まれたという。
大正6年、津波襲来の後、芭蕉が愛好したと云われる石造の蛙が発見された。地元の尽力でここに芭蕉稲荷を祀り、やがて芭蕉記念館が建設された。
**奥の細道 序文**
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立る霞の空に白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、三里に灸するより、松嶋の月先心にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、
草の戸も住替る代ぞひなの家
面八句を庵の柱に懸置。